東日本大震災から12年
真っ青な空に白い雲
眩しい太陽に照らされながら
その木はそこに立っていました
東日本大震災、
あの未曾有の不幸な出来事が人びとをおし流してから、今日で12年と5日。
あの日もこんな青い空があって、白い雲が浮かんでいたのでしょうか。
この木はその空を見上げ、その中で風に吹かれ、そこに立っていました。
震災に見舞われた人たちとともに波にさらわれて、その恐ろしい光景をこの木は、そこで見つめていたのですね。
残った たった一本の木。
その木の命も消えようとしています。
お友達のお嬢さんが撮影された一枚の写真。
縁あって、いただいたこの写真。
今回、この木の写真と、これを撮影されたお嬢さんのお話を書きたいと思います。
そのお嬢さんは学生の頃から毎年この時期になるとボランティアで東北に行かれています。
今ではもう立派な社会人になられました。
学生の頃のような活動ができなくても、いつまでも続けたいと今年も東北の地を踏みしめられました。
あの、津波の中でたった一本生き残った命を宿していた、奇跡の一本松。
今は命の灯火が消えてしまった木となって、一本のモニュメントとなりました。
写真の中で、力強く空に向かって立っている木は「希望の象徴」のようにも見えます。
しかし、
たった一本しか残らなかったという「津波の恐ろしさの象徴」だとおっしゃる方もあるといいます。
もう、緑を輝かせることのない「生きていない木」を見て、お嬢さんは少し怖いなと思いながら、この写真を撮られたそうです。
繊細な心を持っておられる方ですから、きっと身も心も疲れ果てて、お家に帰られるのかなと思っていましたが、友人であるお母さん曰く「東北に行くと元気になるの」「あちらの方に元気をもらうみたい」と少し意外な答えが返ってきました。
その地を踏みしめた人でないとわからない何かがそこにあるのかもしれません。
私には、
3月11日に黙祷すること…
それくらいしか出来ることがないように思います。
実際にその地に立つことがない私には本当のことがよくわかりません。
お嬢さんはどうして、この木を見て、怖いと思われたのか。
私はこの写真を見ながら、ふと、そんなことを考えていました。
きっと、何度も何度も、東北の地を訪ねられ、ボランティア活動を通じて、震災の意味を知り、命の大切さを知ったお嬢さんは、命の輝きを、私よりもずっと知ってらっしゃるのでしょう。
だから、命のない木を怖いと思われた。
そして、現地で懸命に生き抜いてきた方の温かさ、命の温もりを感じていらっしゃるのかもしれません。
この、命の温もりを失った一本の木が、物言わぬモニュメントとなって何を語るのか。
私は、このお嬢さんの素敵な姿こそ、目には見えない希望の象徴だと思います。
現地に行かれる、若い命。
命を見つめ、命を守ろうと考え続ける。
お嬢さんをはじめ、そんな若い命の活動に私は深い感動を覚えたのでした。
もうあんなことが起こらない。
だれも涙を流すことのない世界へ。
お嬢さんに教わった想いです。
3月11日に黙祷をするしかない私ですが、私にも出来ること…
それは、この素敵なお嬢さんから伝えてもらった大切なものを胸に祈ることなんだと。
そんなことを今年は考えていました。